海を渡ること

3月21日の読売新聞にこんな記事がありました。
抜粋ではありますが紹介します。

時代の証言者

飯館に生きる 菅野典雄

~渡米の主婦 復興の力に~

『村の男性は会合に出たり、飲みに行ったり、
 海外旅行にも行ったりするのに、女性にはそんな機会もない。
 同じ村民なのに。』

若い世代のこんな素朴な気持ちが
『新春ほら吹き大会』の場で出されて生まれたのが、
農家の主婦をヨーロッパに送る「村営主婦の翼」でした。
1989年(平成元年)のことです。

村内の若い主婦によびかけたこの事業は、
5年連続で続き、延べ90人が参加。
自己負担金10万円、残りは村が出した。
ヨーロッパの2か国を選び、
約10日間にわたって民泊形式で、
ヨーロッパの農村を訪問した。

余裕のない村なのに、こんなことができたのは
新村長の選挙公約だったからです。
普通ならば役場の企画課などがやるのですが、
村民の人材養成がねらいということで、
公民館の担当になった。



その公民館長になったのが、菅野典雄さん。
当時の改革ブームの中で民間人からの起用です。



そして財源は、当時の竹下内閣が全国の市町村に
一律1億円配った「ふるさと創生1億円」の資金を
使うことができたのです。

公民館長の私は、実施時期を農繁期の秋にすることにしました。
普通なら稲刈りが終わった頃にするところですが、
農家が一番忙しい時に嫁がいなくなるからこそ、
家族に嫁のありがたみがわかり、
旅に出る方の嫁も家族に感謝することができるからです。



この辺りでしびれるな~と思いましたが、
私がサイコーと思ったのはこの後。。。



また、事前に英会話は一切勉強しないようにしました。
初めての外国でボディーランゲージでもいいから
知恵を使って乗り切ったという自信をつけることが
大切だと思ったからです。
私が団長になったのですが、参加した主婦たちは
帰ってくると見違えるようになって、
目は輝き、行動力がつき、たくましくなっていました。

参加者は帰国後、自主グループをつくるようになりました。
村ではわざと報告書をつくることを求めないようにしたのですが、
自分たちで自主的に体験記をまとめて出版し、
その印税を手にするグループまで出てきました。

女性たちが積極的になっていったのです。

その後、野菜の収穫体験ができる農家民宿を始めた人がいました。
手作りクッキーの店を始めた人がいました。
東京まで修行に行って村内で自家焙煎の喫茶店を始めた人も、
どぶろく特区の許可を取って農家レストランを開いた人もいました。

この旅で育った多くの女性が、あれから20年以上たったいま、
全村避難になってもあちこちで村を支える力になっているのです。




今なお飯館村は大変な状況にあります。
でも私はこの記事の中で、
主人公が村民の主婦であること。
公的な資金が人に使われたこと。
出発の時期を農繁期の秋にしたこと。
英会話は一切勉強しなかったこと。
報告書を求めなかったこと。

そのことにしびれました。

この時公民館長に就任された菅野さんとはどんな人なのかな?
こんな結果を予測していたのかな?



この記事を読んだ後に、
「東大特別休学22人挑戦」
東大が新年度から導入する、新入生向けの特別休学制度に
22人が応募したことがわかった。という記事です。

特別休学制度とは、1年間の休学中に
ボランティアや留学などを通じて、
学ぶ意義を見いだしてもらう制度。
3000人の新入生から、
30人を上限に50万円を補助するというもの。


この数を多いと思いますか?
少ないと思いますか?


東大は応募があったことに安堵する一方で、
教員からは、「1年休学して、高校時代の友人たちの
“後輩”になるのは耐えられないのでは」
「休学中の計画を考えられる余裕のあるのは、
 高校2年で受験勉強を終えてしまう最優秀の受験生くらい」
などの声も出ていたとか・・・


あらあら。。。


私がヒッポに出会ったのは15年前。
その頃も、10歳にもなればみんないろんな国に
一人でホームステイしていたし、
高校生になった子が1年間の留学に旅立つことは、
まだ少数だったかもしれませんが、


それがあたり前のようでした。


当時我が子はまだ1歳。
子どもの未来なんて想像もできなかったし、
その子たちと我が子を重ねることもできませんでした。

まだ子育てが始まったばかり、
目の前のことしか見えていない母でした。


ヒッポでは今、年間700人を超える青少年が海を渡っています。
どこの国に行ってもひとりでホームステイするのです。
そして1年の高校留学に行く子は100人を超えています。
もちろんひとりでホームステイをしながら現地の学校に通うのです。


昨日学校の先生とのなんて事ない会話の中で、
『語学をやっているとどうですか?』と聞かれ、
『え?語学はやっていませんよ。』と答えてる自分がいました。


いろんな国に子どもたちを送り出しているので、
それには必要な語学をやっていると思うのはあたり前なこと。

でも私たちは“現地で困らないようにことばを教える”ということは、
まったくやっていないのです。

そのおかげだと思います。
子どもたちはことばで困るという体験をしてこないのです。
これは驚くべきことと思っていましたが、
ヒッポをやっていると誰にでも起こるあたり前なこと。


“教える”とはどんなことを招くのか、
飯館の菅野さんは知っていらしたのかな・・・



東大の記事の最後で、
今後、応募者の活動計画を審査し、
4月下旬に対象者を決定する。
とありました。

ガッカリの続く記事だな。。。



私はこの日この2つの記事を読みながら、
いろんなことを思いました。
みなさんはどんなことを思うのか・・・








関連記事
スポンサーサイト
2013-03-23(Sat)
 

コメントの投稿

非公開コメント

マジャヨマジャヨ~

名古屋のセルマです。

私もこの菅野さんの記事にはほんとしびれました。
その時代に、こんな晴らしい信念のもと
実行に移した方が村にいたなんて。

しかも、彼の心意気を汲んだかのような
参加のお嫁さん達のその後もかっこいいなぁ。


2013-03-24 09:37 | セルマ | URL   [ 編集 ]

米沢のしゃんです。飯舘村のこの画期的な企画のことは知っていました。「農繁期に主婦を送り出す」という発想も!でも、震災後はどうなったかは知りませんでしたので、とても心強く思いました。「生きる力」ってこういうことをいうのね・・・あ~ぼーっとしていられませんね(o^^o)
2013-03-24 16:58 |  | URL   [ 編集 ]

コメントありがとうございます。

この記事を読みながら、自分がやっていることにも気付くというか、
くっきり見えてくるというのかな。。。
もっと未来を想像していきたいなって思いました。



2013-03-26 20:24 | じんこ | URL   [ 編集 ]

プロフィール

じんこ

Author:じんこ
ヒッポファミリークラブ東長崎(東京豊島区)木曜日を主催するフェロウ。
趣味は多言語と模様替え。
明治や昭和初期の家具たちが持っている存在感を愛おしみながら、その力を借りて家族5人、67㎡という決して広くないマンション生活を、流れる多言語と模様替えによって豊かにしています。

最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR