私の机

壁にかけたCDを誰も替えてくれないので、
ずっと英語が流れていました。
何年聞いていても飽きないというのはなぜでしょう。


なぜでしょう?


もちろん多言語だから飽きることがないというのもひとつ。
でももっと理由があるのかもしれません。

まず、意味がわからない。
これはいいことです。
音で楽しめます。

それから、ちょっとずつわかる。
これもじれったいようですが、
自分で見つけていく面白さがあります。

ちょっとずつわかるのと同時に、
ぼんやりとことばの全体(意味)がわかる。
これはなんだか深いことなんだな~と最近感じています。


この感覚は教えることが出来ないから。


こんなわかり方、なんだかじれったいような気がする?

だって意味を最初からわかっていたほうが、
早く話せることにつながるんじゃないの?


そうなのかな・・・?
そうかもしれない。。。


でもそうやってたくさん単語を覚えることが、
本当に話せることにつながっていくのかな・・・。


話すってなんだろう。


目の前の人と話す時、
誰かの思いをわかろうとする時、
単語の意味をどれくらい知っているか、
それ以上に必要な事があります。
これは私の体験からそう感じているのです。


それは“想像力”


次女は昨年韓国にホームステイに行きました。
韓国語が話せるの?
ううん、どれくらい話せるかは自分にもわからない。
そんな感じで出発して行きました。

帰国した娘は、韓国での生活がどんなだったか、
事細かく話してくれました。

アッパ(お父さん)の事も、オンマ(お母さん)とのやり取りも、
オンニ(お姉ちゃん)やナンドンセン(弟)と遊んだことも。

韓国語が話せる感覚もなく出かけて行ったのに、
その細かいやり取りを一体何語で理解していたのか???

全部わかっているその状況が想像できず、
娘にひつこく聞いた時、返って来た答えは、


「何語で話すというより“何を話したいか”が大事な事でしょ」


笑いながらそう教えてくれました。
いつもそんなスタンスで人と向き合って来たんだ。。。
素敵な11歳の女の子でした。







寒くなって来ました。
はやく模様替えがしたいです。

その前に私の机。

机の前に張りつけている板に、
気に入ったダイレクトメールやチラシをペタペタ。

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机の脇には

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オリズルランの入った焼き物は、フリマで見つけました。
後ろにある石は、川で拾って来たもの。
味噌を漬ける時の重しでした。


今年、初めて子どもたちと味噌作りをしました。
このブログを始めたころです。
出来上がった味噌は、今までに味わったことがないないくらい、
格別な味でした。








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2011-10-28(Fri)
 

丸ごとまねる。

ここ数日、あまり家にいる時間もなく過ごしています。
今朝は何語が流れていたのかな・・・?
思い出せない・・・老化現象?

無意識な状態で流れているということで、
なんの負担もないということかな。

流れていても気づかない。
流れていないとちょっと物足りない。

私や子どもたちにとって多言語は、
そんな感じです。



今日小学校6年生の次女に、どうしていろんなところが
まるで歌を歌うように云えるようになるの?
(いろんな言語のストーリーCDを、そのままそっくり云えるので)
と聞いてみました。

返ってきた答えは簡単でした。
「こうやって家の中で流れてるから」

ふ~んなるほど。



ことばを丸ごとまねる。
多言語を聞き始めた時、最初はよくわからなかったけど、
意味なんて考えなくてよければ、なんてことはない。

子どもを育ててわかったことは、
なんでも丸ごとまねしている。
ことばだけではない、なんでもです。

なんでも丸ごとまねるということは、
好奇心の始まり。
仲良くなりたい始まり。
嬉しい始まり。
発見の始まり。

ずっとその始まりを見つめながら、
あたり前のように“母語”が育っていく姿を見てきました。


これでいいんだ。
これが大事なんだ。


みんな子どもたちが教えてくれる。
一緒にやっている意味はそこにある。


多言語の中では子どもに学ぶ以外方法はない。

“人間にとって一番自然な方法を”

自然だから、いくつのことばだって出来る。
自然だから、いくつになっても出来る。


自然に逆らうと苦しくなる。
だからこの方法は自然じゃないんだってわかる。

子どもたちは“自然”を知っている。
そこがすごい!






家の中にいる限り、私は模様替えのことを考えています。
まさに“中毒”です。
新聞は読むけれど活字が苦手、数字も苦手。
小学2年生の娘が持ってくる、宿題の○付けが限界です。笑

勉強ができるとか、できないとか、
そんなことより大事なことが、いっぱいあると思って暮らしてるので、
私的にはそんなつまづきも気にならないのですが、
大人として活字と数字に弱いと・・・恥もかきます。

以前にこんなことがありました。

何年も100万の預金だと思い、ずっと大切にしまってあった通帳。
必要があって解約に行ったら、
なんと窓口のお姉さん、

「お客様、本日は10万の定期預金解約ですね」と云うんです。



私は絶句しました。



私がずっと眺めていた数字は、100000円
0がたくさんあるから1000000円と勝手に思い込んでいたんです。

しばらく声も出ませんでした。
間違えていたってことに気付くのにちょっと時間がかかりました。

いくら数字に弱いからって・・・ひどすぎ。
あんなにがっかりした時はありません。


話がそれました。


家の中では模様替えの事ばかりと云いましたが、
それは本当です。
私のそばには必ずノートと鉛筆があります。
布団の中に入る時も持参します。
だいたいノートを広げたまま眠ってしまいます。


大好きな事を毎日ちょこっと考える幸せ。


もう少し時間が出来たら模様替え・・・。









2011-10-21(Fri)
 

ギターが弾けない

もしもピアノが弾けたなら・・・ではありませんが、
弾き語りする自分を妄想したのもつかの間、
なんだか身が入らない。。。
お恥ずかしい限り。



日曜日大きな公園でじゃんじゃか音をだして、練習して来ました。

朝までの大雨がウソのように晴れ渡り、
気持ちがいい一日でした。

「バンドやりたい人芝生広場に集合~!」という呼びかけがあったので、
♪も読めないけどなんだか楽しそう。
音楽もことばも似たようなもんだから、私もいけるかも。。。
青空がまた良かったのか、るんるん気分で出かけました。

ポットにコーヒー入れ、おやつを準備し、
大きなシートを持ち、レジャー用の椅子まで担ぎ・・・
私の準備はまるでピクニック。

集まって来た仲間たちは、みんな思い思いの楽器を持参していました。
ソプラノリコーダーや
まだまだ現役で使われている、
鍵盤ハーモニカ(私はメロディオンと呼んでいました)
トランペットやフルート、
電子ピアノにベース、キーボード・・・
打楽器もいろいろありました。

みんなキラキラした瞳で演奏し、
ちょっとづつ手ごたえを感じ、
なんだか上達していってるじゃな~い。


なのに・・・私と云ったら・・・。
身が入らない。



細かいことにこだわらなくていいよ。
その気になるってことが大事だよ。
ここだけ押さえたら、それだけで完璧だよ。

数々の励ましや、じゃ~んって出した音に、
「いいよ~!」と褒めてくれる優しい仲間たち。

・・・ん?

これって初めてヒッポにいらした方に、
私も同じようにアドバイスしてるし、
ひと言でも声に出せたら、心からスゴイ!!
と云っている。。。

初めて出会う音(ことば)に、
素直に耳を傾けること、
キチンと云えなくっても声に出してみることが、
どれほど大事なことで、
そこからどんなことばの世界が広がっていくのか。
大人が知らないことばを口にすることが、
どれだけ勇気がいることか。
自分の体験で知ってるから、

実感を持って“スゴイ”って思えるのです。


声に出すってことから全てが始まっています。

人とのかかわり。
想像や創造すること。




わかっているのに、わからんチンの私。
身が入らなかった・・・わ・た・し。


まるでヒッポ(多言語)に出会った時のわ・た・し・みたいでした。笑




2011-10-17(Mon)
 

ギターが弾きたい!!

私は歌うことが大好きです。
声が少し大きいので、もしかしたらお隣に筒抜けかもしれません。
でも小さい声で歌うことは・・・私には難しい~。

だからと云って、カラオケボックスで歌うのは好きではないので、
行きません。
もっとたくさんの人がいる所で“歌いたい”とバカなことを
いつも思っています。ぷぷぷっ

ヒッポファミリークラブが主催する講演会が、
いろ~んなところで開かれています。
私も講師として、北は九州から北海道まで(最近はそんなに遠くには行きません)
これまでいろんなところに呼んでいただきました。

10月11月は茨城や群馬、千葉といった、
ちょっとだけ遠い所に呼ばれています。
いつも電車に揺られながら“今日はどんな話をしようかな”と考えています。
そんな自分と向き合っている時間が好きです。

聞きに来て下さる方を思い浮かべながら、
気持ちを整えているのです。


日本語以外はまったく話せなかった私が、
環境の中でどんなふうにことば(多言語)を理解し、
話し出して行ったのか、私自身の体験をお話したり、
子育てをしながら見つけてきた、
母語の自然習得の面白さについてお話していますが、
私の伝えていることは、

“人間てスゴイ”
“人間て面白い”

ということです。


実は私、その講演会の中で歌を歌っています。
私の事を知っている方は、相当期待されますが、
知らない方は、さぞビックリされていると思います。
音楽もなくアカペラで歌いだすのですから。。。

私は自分の体験を話す時に、
必ず中国にホームステイに行った時の出来事を、話しの中に入れています。
ニイハオ、ハオチー しかわかっていなかった私が、
中国の結婚式に参列し、200人以上の中国人の前で、
中国語でスピーチをしたり、歌まで披露したり・・・

なんでもわかって、なんでも伝えられる自分がいました。

その体験を話す時に、とても重要なエピソードなので、
必ず入れているのですが、
中国で歌った歌は、
私の18番!和田アキコの「抱擁」でした。
この歌ご存知ですか?
熱唱系の歌です。

ロシアに行った時は音楽家のママだったので、
綺麗なメロディーと歌詞が重要と、
選んだ曲は森山良子の「今日の日はさようなら」
ロシアの家族は日本語はわからないので、
歌いながら歌詞に感動しているのは私だけ。
最後の晩に歌った時には、私だけが号泣~。ちょっと笑えます。

アメリカの大地で歌ったのは「涙そうそう」
近所の方にお茶をいただいた時や、
一日のお礼に歌のプレゼントをしていました。
歌い終わるとみんな「ありがとう」と云って、
私を抱きしめてくれました。

どこに行ってもどんだけ歌うの?って感じですが、
楽器も出来なければ、手品も出来ない、
折り紙もあや取りも出来ない私に出来ることは“歌う”ことぐらいです。

なんのとり得もない私と思っていたけど、

ことばを“話す”ことと歌を“歌う”ことは、
私の体ひとつあれば出来ること。
何もかもなくなっても、それだけはある。

そんなふうに考えると、
まあいいかなって思えます。


楽譜も読めない私、
根気もない私が、


ギターをやる!と云うのです。
我が家にあるのは真っ赤なアコースティックギター。
コードもわからない私ですが、
どのように習得して行けるのか、楽しみです。
がんばってチャレンジします!

いつか弾き語りをしたいです。

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2011-10-15(Sat)
 

拾ったもの

朝から韓国語を流しています。

私は韓国ドラマにも韓国アイドルにも興味はありません。
なので韓国語が話したい~!という欲求に駆られることもありません。
韓国語を話す動機がないのです。

でも一番馴染みのあることばであり、
たくさんある言語の中でも、一番わかることばになっています。

自然にそんなことになってしまうのだから、恐ろしい~。
ことばってそんなに難しいことではないってことです。

昨日我が家に来た娘の同級生が、
「韓国語話せる?」
と聞いてきたので、
「ネェ~ムロニジ~!アニョハセヨ」と話し始めようかと思ったら、
それだけで
「ギャ~~!!」と倒れそうになっていました。





ゴミ捨て場にあったモノを拾って来ました。
子どもたちは「ええ~拾って来ちゃったの!?」と
騒いでいましたが、何かに使えるかもしれません。
何に生まれ変わるかは・・・わかりません。

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我が家には新しいモノがあまりありません。
古道具屋で見つけたモノだったり、
フリーマーケットで見つけたモノだったり、
縁あって我が家にやって来たモノばかりです。


ずいぶん前になりますが、
近所のお宅で古い家具が玄関先に出ていました。
そのお宅は知り合いでも何でもありません。


一度目はただ通り過ぎ。
もう一度はしばらく黙視。


人の敷地なので、門がないとはいえ、
一歩踏み込むには勇気がいります。
でもど~~しても気になる。

家の前にいるだけでも怪しい人なのに、
今度は触ってみたいという衝動にかられ、

たたたたっと忍者のように、
足早に敷地内に入り、古い家具にタッチ。

まぁこんなバカな行動を繰り返しながら、
何度そのうちの前を行ったり来たりしたことか。。。

私の怪しい行動を夫に打ち明け、
ど~~~しても一緒に見に行って欲しいとお願いし、
今度は夫を連れだって夜中の訪問。

ガラスの付いた本棚と、引き出しの付いた低い収納棚。
どちらも見たところ、昭和初期のモノ。
色も形も我が家にピッタリ!


もう我慢が出来ず、翌日には思い切ってそのお宅を訪ねてみることに。
ドキドキしながら「ピンポ~ン」
玄関先から出ていらした奥さまは優しそうな方でした。

私は単刀直入に、
“もし処分してしまうものならば、譲っていただきたい”
と申しました。


云ってしまいました。。。


優しそうな奥さんは、にっこり笑って
「どうぞ~良かったわ。明日粗大ごみで、引きとりに来るところだったのよ」
と快くその古い家具を譲って下さったのです。


思い返せば楽しい出来事でした。











2011-10-13(Thu)
 

アメリカで体験したお別れ

メルハバ~。
たまにはトルコ語でも聞こうかな~。
まったく馴染みのないトルコ語。
でも、最近街を歩いていると“ケバブ”のお店が、
ここにも。。。あそこにも。。。
増えていますね。

そういえばインドやネパールのカレー屋さんも増えています。
私の住んでる街は下町のような小さな街なのに、
2件もあります。
「ナマステ~!」と挨拶すると必ず、
「ナマステ~」と気持ちよく返してくれます。

挨拶だけはどんなことばでもすぐ出てきます。
会うたびに挨拶してると、お友だちのように思えてきます。

我が家で音楽のように流れている多言語が、
楽しい“人との出会い”につながっています。



私は3年前の夏、アメリカにホームステイに行きました。
当時娘たちは、6年生と3年生と幼稚園でした。

一ヶ月という決して短くはない期間、
子どもを置いて家を留守にするなんて出来るの!?
とよく聞かれましたが、私にとっては
“今しかないチャンス”でした。

“今しかないチャンス”の今というのは、

夫は休みもままならないくらいの忙しさ、
実家は離れているし、両家の両親ともに働いているので、
もちろんあずけてお願いしま~すなんてことも出来ません。

それでも、みんなが元気であること
3人の子どもたちの生きる(生活する)力がついているということ
この二つがそろった“今”だから旅立てると思いました。

夫や子どもたちに話した時、
誰もが「いいね、行っておいでよ」という答えでした。

どこまで前向きな人たちなんだろ~と思いましたが、
家族みんなでヒッポをやっていなかったら、
きっとあり得ないことであり、
想像もできない事だったと思います。

やるかやらないかであるなら、
どんなことでも間違いなく、
やる!であり、

出来るか出来ないかなら、
どうやったら出来るか?を考える。

そんなスタンスが知らず知らず、
環境の中で育っていました。
私だけに育ったこのではなく、家族みんなの中に。。。

環境をつくっていくということは、
難しいことではないけれど、
決してあるものではありません。
14年前“やってみよう”という一歩がなかったら、
すべて起きなかったことです。



私のアメリカでの体験は、
ここには書き切れないほどありますが、
ひとつ印象に残っている出来事があります。



それはホストパパの友人の死の知らせでした。
パパやママの様子を見ていたら、
ただ事ではないことはわかりましたが、
どんな状況なのか、私にはよくわかりませんでした。
でも、一緒にお葬式に行くんだってことはわかりました。

そこから日本とアメリカの違いに、
驚くことばかりでした。

出かけるとき、服装はいつものままでした。
カードにメッセージを書き、花束を買って、
お宅に着いたときには、車がいっぱい止まっていました。

次々に会う人と挨拶を交わしているけれど、
みんな笑顔で“よく来たわね”と云ってくれるので、
誰がこの家の人で、誰が喪主になる人なのか・・・
全然わかりませんでした。

部屋の奥に入っていくと、これからパーティーでも始まるのかな?
というくらいのご馳走が並んでいました。

ドリンクや料理を片手に、
リビングに面したお庭にどんどん人が集まって、
みんなが話していました。

手の込んだサラダやお肉、チップやデコレーションケーキまで。。。
どれも美味しかったし、みんなとのおしゃべりも楽しかったけど、
誰も泣いている人がいないことに驚きました。

そして段々に状況がわかっていきました。


この家の主が亡くなったこと。
まだこの家は建てたばかりで新しいこと。
子どもたちが4人いること。


突然の死だったようです。
消防士であるご主人が、夜勤を明けて帰宅し、
ソファーで横になっていた、
そのままの状態で息をひき取ったのです。


みんなの表情、みんなのことばに耳を傾けながら、
全ての神経を使って私は想像していました。


しばらくすると、出席者全員がお庭にそろい、
椅子に座って“お別れの会”が始まりました。
司会者が、彼の生まれたときからこれまでの功績を
静かに語り始めました。

いつどこで生まれ、どんな学校に進み、
どんな仕事に着き、どんなふうに奥さんと出会い、
子どもたちが生まれてきたのか・・・彼の歴史でした。

次に友人たちが手をあげて、次々に
彼がどんな人であったか、
どんな強い男であったか、
どんなにあったかい父であったか、
彼との思い出を語り始めたのです。

私のホストパパもジョークを交えて、
彼とのエピソードを語っていました。


そこには、笑いがあり、誇りがあり、未来がありました。
涙はありませんでした。



こんなショックはありませんでした。



若すぎる突然の死がどんなに辛いことなのか、
4人の子どもたちは、まだ成人前です。
どこの国に生まれたって、その悲しさに変わりはないと思います。


でもそこに集まった人たちは、
その家族に向けて、

彼がどんな男だったのか
彼がどんな父だったのか
彼がどんな素晴らしい人間であったのか

ことばで表現し、
ことばで包んでくれていたのです。


日本の静かなお別れとは、
まったく違うお別れでした。

涙で別れを悲しむのではなく、
笑顔で亡くなった人を送るのです。


こんなお別れがあるんだってことを知りました。
私にはまだ想像できぬ世界ですが、
何を頼りに、
何を支えに生きていけばいいのか分からなくなったとき、

“ことば”で前を見つめていけるのかな。。。










2011-10-08(Sat)
 

アメリカ留学を決めました

英語はもちろん海外にもまったく興味がなかった私が、
たまたまポストに入っていた“ヒッポファミリークラブ”のチラシを手にし、
そこから思いもよらない“出会い”と“発見”と“経験”をして来ました。

私はごく普通の主婦であり、夫もごく普通のサラリーマン。
家族が一番であり、他に何もなくてもきっと幸せであったと思います。

でも今を大切に生きながら、ずっと先の夢や、自分のまだ見ぬ可能性や、
もっともっと広い世界を想像し、わくわく出来ていたかな?と思うと、
あの時から、いろんな人にいろんな視点をもらい、刺激を受けて

ことばってなんだろう
人間てなんだろう
自分てなんだろう

を見つけて行く旅が始まったのだと思います。

見つかったものは・・・まだ少し。
でもその見つかったものは、私の宝物。

まだまだ人生が面白くなりそうです。
これからです。。。



当時1歳だった長女は今年15歳になりました。
中学3年の受験生です。

あんなに小さかった女の子が、
来年公立高校の交換留学プログラムで、
“アメリカに行く”
ということを決意しました。

アメリカの学校は9月がスタートなので、
娘は高校入学してわずか4カ月で、日本を1年間離れることになります。


自分の15歳を振り返ると想像が出来ません。


自分で決めたことだから、きっとがんばれる。
そう信じられる私がいます。


ヒッポは年齢別でも、クラス分けがあるわけでもないから、
子どもたちは学校や普段の友人関係も、
社会人なら職業やキャリアも、
私のような主婦ならば、
○○ちゃんのママと呼ばれるようなことも、
な~~~んのもしがらみのない中で活動しています。

私たちはあたりまえのように、
“しがらみ”の中で生きているけど、

その中で知らず知らずに、

この子はこんな子。
あの子はあんな子。
この人の考えはいつもこう。
この人は好き。
この人は嫌い。

こんな感情の中で、人との距離を測っていくようになるのかな。


中学生になった娘が、いつもの活動の帰り道
「あぁ~楽しかった」
こう云ったのです。

私は耳を疑いました。

段々成長してくると、自分の本当の感情を出さずに、
ちびっ子や大人たちが無邪気に遊んでいる姿を、
どこか冷めた目で見ているような年ごろに、
誰もがなっていきます。
これはあたりまえの成長です。

その日の娘は、ち~とも楽しそうな顔していなかったのに、
あの発言でしたから思わず
「ええ?楽しかったの?」
と聞き返してしまいました。

娘は特別な様子もなく、
「うん楽しいよ」
と答えたので、
「ヒッポのどんなところが楽しいの?」
と聞いてみました。

にこにこしながら
「自分らしくいられる場所だから」
そう答えました。

学校でも友だちとも、楽しくやってる我が子であっても、
ちょっと気をつかいながら、人と合わせながら、
がんばっているんだなって思いました。

きっと誰もがそうなんだな。

ヒッポはなんにも飾らない、
そのままの自分でいられるところ
だから楽しい

娘の飾らないことばに
そんな“関係性”の中で、
いろんな可能性を引き出されているんだって思いました。


中学一年生の夏、娘は1ヶ月のアメリカホームステイに行きました。
恐ろしいほどの宿題の量と大会前の熱の入った部活。
はじめて体験する中学生活の中で、
アメリカ出発までに娘に与えられた時間は、ほんのわずかでした。
でも全てのことをやり切って、
すがすがしい顔で旅立って行きました。


自分の目標に向かって行く時、
思いもかけない力を発揮し、
その集中力には本当に驚かされました。



いかなる可能性も秘めている娘の次なる夢へ、
心からエールを送りたい。


今はそんな気持ちです。








2011-10-06(Thu)
 

衣替え

10月になって“寒っ”てことばをどれくらい口にしたでしょうか。
夕焼けチャイムは5時に鳴り、日が暮れるのも早くなり、
寒いと甘いモノが食べたくなる。
夏は煮物なんてあまり作らなかったのに、
甘辛い煮物や具だくさんの汁物が、
毎日のように登場するようになりました。
食卓から季節を感じます。
いいものですね。

先日衣替えをしました。
衣替えをしたのに、夫のモノが出てこない。。。
モノがないにもほどがありますね。驚きました。

私のモノはというと、入れ替えるつもりが
ずいぶん処分しました。
ゴミ袋、4袋ぐらい資源ごみに出しました。
また押入れがスッキリしました。
気持ちがいいものです。

いいモノ、好きなモノを少しだけ(必要なだけ)
持ちたいって思っていますが、

自分にあったモノ、必要なモノを知るには
やはり経験が大事。
買ったのに着ないモノがあったり、
安いモノに手が出てしまったり、
失敗もあります。

私もまだまだです。
でも少しだけ“自分”がわかってきたので、
これからが楽しみです。

ずいぶん前にフリーマーケットでゲットしたGパンです。
ボロボロになってきました。
穴も空いてしまうので、
その度につぎはぎをしています。

針と糸を持って、ちくちくやっていると
“無”になれるので
そんな時間も好きです。

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なんだか雑巾のようなつぎはぎ・・・

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2011-10-05(Wed)
 

欄間

小学校2年生の末娘は「5年生になったらロシアに行く!」と張りきっています。
娘とロシアにホームステイしたのは、1歳を迎えた時だったので、
彼女の記憶にはないような気がするのですが、本当はどうなんだろう?

ロシアの話をする時、娘は「ロシアのママ」「ロシアのおばあちゃん」と云います。
話しているうちに、本当は記憶にあるのかな?
それとも私が話していることばが、まるで自分のことばのようになっているのかな?
よくわからなくなる時があります。

ロシアで過ごした数日間は、一日一日が忘れられない思い出です。
ホームステイで過ごすということは、その国を外側から見るのではなく、
内側から見ること、感じることでした。

自分たちで野菜を育て、保存食を作り、
無駄なものは持たずに、必要なモノだけ買う。
残ったモノは瓶に詰め、ラップは見あたらなかった。
ゴミが全然出ない生活。
娯楽は何ひとつないけれど、小さいキッチンに
いつも近所のおばあちゃんが集まってお茶をしていました。

ロシアの人たちの生き方が素敵でした。

もう一度行ってみたい国ロシア。
娘の方が私より早く実現するのかな。。。

ロシア語を流していると、私にとってその声は
懐かしいマーマチカの声であり、バーブシュカの声。。。
ロシアの台所の匂いも、
バーブシュカが作ったボルシチの味も、
忘れることは出来ない。。。



週末に面白いことがありました。

私のブログを見ている友人が、お家を建て直すので
古い家具の処分をする前に、連絡をくれたのです。

嬉しかったです。

大きなモノを引き取れるわけでもありませんが、
どんなモノがあるのか、ど~~~しても見たくて、
無理を云って押しかけました。

友人は「期待しないでね」と云ってましたが
見る前からワクワクしました。

ほこりのかぶったものが、私には宝の山!
いくつかいただいて来ましたが、

あれも良かったな・・・
あ~あれも良かった・・・

と帰って来てからもぶつぶつ。。。
どんなに素敵な素材やデザインでも、
人と一緒に年数を重ねたモノには、敵わないのです。
そして、どこに置いてもしっくり納まる。
本当にスゴイです。


早速、いただいた欄間を壁に掛けてみました。
どうかしら?



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2011-10-02(Sun)
 
プロフィール

じんこ

Author:じんこ
ヒッポファミリークラブ東長崎(東京豊島区)木曜日を主催するフェロウ。
趣味は多言語と模様替え。
明治や昭和初期の家具たちが持っている存在感を愛おしみながら、その力を借りて家族5人、67㎡という決して広くないマンション生活を、流れる多言語と模様替えによって豊かにしています。

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